高校をやめるやめないは自由だが…。

高校をやめるやめないは自由だが…。

noteの続き
僕は高校を自主退学しています。
人生には幾つもの分岐点があり、僕はなんの問題もなかった高校をやめています。なぜなら通うことにメリットを感じませんでした。

noteはこっち noteは記事的なことだけ書いてます。

 

最近よく自分の価値観を持って、自分の意見を持って、自分の選んだ道を進めと言います。

高校を辞めたことは自分でも大きな賭けに出ていると思いますし、皆が直進する大きな交差点を曲がっていると自覚しています。

そして、高校を辞めることに対して肯定的な意見を人と、否定的な意見を持つ人がいます。

僕は、実は半分前者で半分後者であります。

なぜなら、本来学校で学ぶことを学べなくなってしまうからです。

ただこの考えを説明せずにいると言動が矛盾することになってしまいます。

まず、前提を作りたいのですが、学校教育の大半はネットで得ることができる社会に変わりました。これをどう理解するかによります。

まず、理科や社会、歴史、数学的な考えは必要になってきます。
国語は仕事をしていく上で身に着けるものが多い気がするので置いておきます。家庭科も別です。技術とか体育も別です。

上記で上げた知識は生きていく上で内部記憶として持っておくと良いという理由で、学校教育で学ぶことは必要だという考えです。

じゃあ逆に言えばこれを学んでしまえば学校はいらない。
これらを学ばなきゃいけないという意識、これらの必要性を理解しているのであれば学校を辞めてしまえばいいという考えです。

大学に関してもいろいろ考えはあるのですがここでは書かないことにします。

ちなみに、家庭科とかはネットを外部記憶として取り出してしまえば解決するかと思います。料理とか。
栄養素に関しては知っておくといいですね。あと、医療に関しても理解しておくといいかもしれない。

でも結局これらって日々生きている中で、ネットをチェックしていたら勝手に内部記憶として蓄えられる気がします。

あと、せっかく世の中に大量のサービスが出回っているのだから、これらを使って生活をアップデートしていけば良いんじゃないかなと思ってます。

でも、学歴は武器になるのは確かだと思っています。2017年10月現在ではね。

 

ここからnoteには書いていないことがかかれています。

 

ただ、高校の良さは高校的な生活ができるとかですかね。

制服デートとか(笑)

 

どこに価値を置くかはひとそれぞれなのでどうでもいいんですけど、どこで何を切り捨てるのかはよく考えるようにすべきだと思ってます。

 

たとえば、「高校的青春」を切り捨てるとかね。僕は高校の文化祭に一回しか出ていないわけだし、体育祭にかんしてはケガでみてただけだし。

 

修学旅行もいってない。制服デートはした。

 

まぁ、ある種経験しなくていいところなのだが、ここに付加価値を付けている人はいるんじゃないかな。

僕はどうでもいいのだけど。

 

たとえば、同窓会とか僕絶対高校のやつ呼ばれないジャンって思ってる。

中学の人とかからしたらあいつやっぱりクソネット野郎で胡散臭いおっさんになってるwwって思われててもおかしくない。

 

大学の友達とか、高校からの友達とか、圧倒的に少ない。

高校に関して言えば一年しかかかわってないからそもそも誰がいるかとかしらんし。

 

なので、やめた後にもっと青春したかったとか、若い遊びしたいとか、学割でぶいぶい言いたいとか思ってるのならたぶんあなたには僕と同じ選択はお勧めできない。

ただ「起業家は孤独」という点に関して言えば、なんとなく「ああ、今までとなにもかわらないな」という感覚ではある。

 

高校を辞める時に僕から離れた人はいるし、ブロックチェーンとかAI、VR/MR/ARでバカにもされ続けているので(笑)

 

 

ちなみに、BIが導入された世界が来たとして、学校行ってるより専門的知識を蓄えてどっかの業界に飛び込めばいいと思っているのでBI導入しましょう。

と言いつつも、僕はそんなに知識持ってないので、良い失敗例です。